2006年07月31日

詩「蝶」

蝶がひらひら宙を舞う
太陽の光をたくさん浴びて
やさしい風を受けながら
青い空を自由に舞う

きれいな花を見つけた
蜜の香りがほのかに漂ってくる
蝶はその花に向かって羽を動かす

その時、羽が何かにひっかかる
蜘蛛の巣に羽がかかり動けなくなった
必死に抜け出そうとする
羽をばたつかせるほど糸が複雑に絡まっていく
蜜の香りはほのかに漂っている

蝶はもがき続けていた
もう抜けられないと分かりつつ、もがきつづけていた
蝶の命がギラギラして見えた
僕はその姿に心打たれた
けれでも黙って見ていた

やがて蜘蛛が現れた
一目散に蝶の元に近づく
蝶は最後までもがいている
蜘蛛は一瞬の内に蝶を捕らえた
それっきり蝶の羽は動かなくなった
僕は黙って見ていた

しばらくすると蜘蛛の巣は
何事もなかったかのように元の通り
近くでは蝶がハタハタ宙に舞う
蜜の香りはほのかに漂っている
posted by のっち at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩・散文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月16日

映画「母たちの村」

母たちの村.jpg
こんな映画を観ました。
「母たちの村」
あらすじ
西アフリカの小さな村で、割礼を嫌がった4人の少女たちがコレのもとへ逃げ込んで来る。第一、第三ママや子どもたちと暮らすコレは、自分が割礼で苦労し、二人の子どもを死産した経験から、娘には割礼をさせていなかった。少女たちはそのことを知って、「モーラーデ(保護)」を求めて来たのだった。コレはそれを受けるが、伝統に逆らうコレの行為に村の男たちは大混乱になる。そしてモーラーデを止めさせようと、コレに様々な圧力をかけてくる。


特にアフリカで問題になっているFGM(女性性器切除)をテーマにした映画。
FGMについては少し本で読んだだけで表面上のことしか知らなかったのだが、根深い問題なのだと感じた。
長い間、伝統的に行われてきた事で文化という言葉では終わらせることのできない「誰かを傷つける行為」について、どうすればいいのか考えてしまった。
大きなアプローチとしては法規制などがあるだろう。
また、FGMが当たり前のものとしている人たちに違う視点に気がついてもらうことも必要だろう。
迷信や信仰というものは人間の思考を断絶する。
なんの根拠もなしに信じてしまうからだ。
だからこそ恐ろしいし、難しい。

伝統だとか文化だとか、そういう言葉で片付けてしまうのは最も危険な行為である。
自分は昔からある伝統や文化でも「守るべきもの」と「変えるべきもの」があると感じている。
ただ、その守るべきものと変えるべきものの判断も、また難しいそう。
少なくとも、FGMという伝統・文化は変えるべきものである。

映画の中ではジェンダー問題も垣間見れた。
男性優位な社会。
日本もまだまだ男性優位な社会に変わりないが、映画の中のアフリカはそれが顕著であった。
村社会の閉鎖性も恐ろしい。
それでも、映画で母たちが村の男性に対しFGMに異を唱える姿は力強く感じた。
先進国と呼ばれる国にいる自分は、社会的弱者でも頑張っている人間に対して、どういう関わり方がよいのだろうと思いを巡らせている状態です。

夏休み、どこか海外に行きたいな〜。
posted by のっち at 23:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画「真昼ノ星空」

mahiru.jpg
こんな映画を観ました。
ミニシアター系ですね。
あらすじ
リャンソンは台湾人の殺し屋だった。今はひとつの仕事を終え、沖縄に身を潜めている。孤独はとっくになれてるし、生活は穏やかだ。でも本当に心が静まるのは、キラキラ光るプールの水の中だけだった。土曜の夜のコインランドリー。けだるい足取りで、彼女は必ずやって来る。寂しげで美しい彼女の横顔。胸が高鳴る。「あなたが好き。」と彼は由起子に伝えた。これがはじめての恋だと。けれど由起子は、彼を愛することができなかった。サキは、誰も来ない市民プールの受付に座っていた。いつまでもこの退屈な真昼が続いていくように思えた…。三人の孤独は、ゆるやかに交差する。それはどこまでも青く澄んで、何もかもを見透かす光のようで、少しだけ、痛い。


沖縄が舞台の映画です。
なんというか、感じる映画。
青い空、雲の流れ、風の音、部屋から見た光差す庭、簾のざわめき。
日常の中にあるなんでもないものが美しく見える。
そういう映画。

リャンソンのなんというかいやらしくない真っ直ぐさがよかった。
人を好きになれることって幸せなことなんだよなー、と思った。
沖縄のきれいな風景に、素敵な時間の流れ方。
観ていてとっても心地よかった。

それにしても、最後のシーンは謎。
本当の出来事なのか、リャンソンの想像なのか。
本当の出来事ならいいんだけど、リャンソンの想像なんだろうなーと思ってしまう自分でした。
posted by のっち at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月14日

壁の話

壁を越えれば明るい世界が広がっている。
うんざりするくらい、世の中ではこんなことが言われている。
そしてそんな中でどんなにつらいことがあってもこれまで生きてきた。
だけど、壁を越えたその先が明るい世界とは限らない。
もちろん明るい世界のこともある。
花畑が広がるような、青い空が広がるような、そんな素敵な世界が待っていることはもちろんある。
だけど、壁を越えれば必ずそんな世界が待っていると限らない。
不毛の土地なこともあるし、光の差さない世界のこともある。

たかが壁を越えただけで世界は変わらない。
変わるのは「壁を越えた」自分が少し変わるくらい。
それで、少し世界が変わったように見えるかもしれないけど、それは世界が
変わったのではなくて、世界をみる自分が変わったということ。

壁を越えたことで光がよく見えるようになることはある。
逆に壁を越えたことで闇がよく見えるようになることもある。
壁を越えて何も変わっていない、何も得ていない、ひどい時は苦しみを感じるのであれば壁を越えたことで、闇だとか暗いものがよく見えるようになって、そう感じてしまうのだろう。

だけど、だからって壁を超えようとしなければ人間は何も変わらない。
もう変化する必要のないくらい年老いたならまだしも、これっぽちも生きていない人間が壁を越えようとしないのは逃げ以外の何物でもないのだなぁと思う。
それは安易な自己正当化を許し、それ以上どこにも行くことができなくなる。
誰かのいう言葉を聞き、自分の中にうまく消化しなくてはいけない。
たぶん、自分は一生を通しても完成することはないのだと思う。
そんな間単に人間は完成しない。
でも完成に近づくことはいくらだって出来る。
posted by のっち at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月08日

ダブルスタンダード

とりあえず、ブログとmixi日記で同じことでも書いて遊ぼうと思ったけどやめた。
ブログとmixiの特徴を活かして違うものにしよう。
ただ、いくらでも書くことはあるけど時間がない。
mixiはある種、社交場的な感じなので、そういうのを目的としますか。
ブログの方は・・・、方向性を検討しましょう。
posted by のっち at 23:45| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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