2008年08月17日

ノー・マンズ・ランド

「ノー・マンズ・ランド」という映画を観た。

ボスニア紛争を題材にした映画。
ボスニアとセルビアの中間地帯ノー・マンズ・ランドの塹壕に取り残された、ボスニア軍兵士のチキ、ツェラ、セルビア軍兵士のニノ。
ツェラは地雷の上に横たわって身動きが取れない。
彼らを「人道援助」という「建前」のもと救出に向かう国連とニュースに群がるマスコミ。
世界の縮図が「塹壕」という狭い中に集約されたかのような話。


チキとニノは互いにけん制し合う。
「戦争を始めたのはお前らだ!」と言い争う。
武器を奪い合って、武器を得た方の主張がまかり通る。

でも、共通の女性の知り合いがいて、少し打ち解けるようなシーンもある。
そんなシーンも武器を手に持つと、打ち解けたことは無に帰す。
武器がなけりゃ分かり合える可能性があるんだ。
だけど、武器を持ってお互いを傷つけ、争いが始まった時より憎しみが大きくなってしまう。


国連の若いフランス兵は「傍観は中立ではなく加担しているのと同じ」との趣旨の発言をする。
だけど、その上官は自分の保身のほうを大切にしている。
マスコミがいる前でのパフォーマンスを考えたりする。
そして、実際に暴力が起きた時、国連にはどうすることも出来ない。


映画のラストシーン。
マスコミの2人の会話。
「塹壕の中は撮らなくていいのかい?」とのカメラマンに対し
「塹壕の中には何もないからつまらない」とリポーターは答え、現場を去る。
衝撃的な映像は撮れたから、テレビ的には問題ないと去る。

そして、映画のラストのカット。
頭の片隅で分かっていたけど、悪寒を伴う鳥肌が立った。
話の中心であるはずのことが、いつの間にかその中心から外れ取り残されてしまう。
犠牲者はいつだって世界中から取り残されて、忘れ去られていくんだ。


いろんな人間劇が行われている中で、地雷の上にただ横たわるツェラは何を想ったのだろう。チキとニノが言い争っていて「両方とも泥沼だ。もううんざりだ」っていう言葉が印象に残った。
そうだよな、もううんざりだよな。
世界中に、争いにうんざりしている人はどのくらいいるのだろう。


戦争映画だけど、戦闘シーンはほとんどありません。
戦争時のいろんな立場の人間がうまーく描かれている。
また、戦争という緊迫している映画のはずだが、その緊迫感が抜けるシーンもある。

美しい草原に青い空。
新聞でルワンダの記事を読んで「こんなにひどいことが起こるなんて」と叫ぶ兵士。
英語が分からないのに適当に「YES!」とだけ答える検問所の兵士。
ローリングストーンズのTシャツを着ている兵士。
・・・などなど。
監督さんはボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身。
実際にボスニア紛争の最前線でカメラをまわした経験があるそうで、そういった経験も元になっているのかな。
だから、戦争の実際の戦闘以外の悲惨さのリアリティがある。

そして、一面的ではない。
戦争の無意味さがぐっと伝わる映画でした。
posted by のっち at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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