2006年08月15日

この日に思ったことの断片

終戦の日ですね。
目をつぶって亡くなった方々のことを思いました。
1日中マスコミは騒がしかったですね。
騒ぎすぎとも感じます。
僕の身内で「英霊」になった方はいらっしゃらないので、神社にはなんの感情も持っていません。
好きでもなければ、嫌いでもありません。
神社そのものについて肯定も否定もするつもりはありません。

この日はその神社の問題がいつも取り上げられますね。
賛成、反対どちらの意見にもそれなりの正当性があると思います。
最近はあとは好みの問題のような気さえします。
A級戦犯、アジア外交、国益、信教の自由、政教分離、神社の成り立ち、ナショナリズム、東京裁判・・・。
いろんな問題が存在して、それぞれについてそれなりに考えたりはしていますが、理論的に支離滅裂で納得のいく思考はできていない。
だが、少なくとも言えることは、今日は戦争で犠牲になった全ての人々に対して、自発的な慰霊を個人として行うのが理想だと感じています。
ここでは上記の問題ではなく慰霊について考えたことの断片でも書いてみました。

慰霊という行為は精神的な行為、つまり目に見えない部分で行われる行為であると考えます。
では、慰霊とはどこで行われるべきなのであろうか?
個人的には、その個人の宗教や信教に基づいて行われれば、それは立派な慰霊であると感じています。
だから、神社でも寺でも教会でも自分の家でも戦争で犠牲になった方々のことを思い、慰霊を行うことはできると思います。
一般人であるならば、他人に危害を加えない限りさまざまな慰霊の形があると思います。

しかし、国のトップにある人間がある特定の場所で慰霊を行うのには賛同しかねます。
宗教世界が具体化された場所を国家のトップが利用するのは、国民の持つ宗教の自由を間接的に歪めてしまう懸念があります。
国のトップの持つ人間の社会的影響力を考慮しなければならないと思います。
慰霊という行為は自発性を持って行われるべきであり、特定の宗教であれ無宗教であれ個人の慰霊の形に影響を与える行為を最も権力のある人間、つまり首相が行ってはならないと思います。
どんなに私人と言おうが、実質的には公人であるというのが個人的解釈です。
公人がマスコミや公衆の前で行う行為は当人の意図しない他者の精神に影響を与えてしまうことを考えて欲しい。

とは言うものの、現実的な視点で見れば全然だめな考えだな。
考えるべきことは山のようにあります・・・。
最後に、いつか静かな終戦の日が訪れることを願っています。
posted by のっち at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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