2008年09月07日

スカイ・クロラ

スカイ・クロラという映画を観た。
哲学チックなアニメです。


「平和を維持するために、戦争を人はするのだ。 人が現に死んでいっているというのを感じないと、平和も感じられなくなるのだ」

平和を維持するために、ある一部の存在が戦争を行う世界。
人間は何をもって「平和」という状態を認識するのだろう。
戦争や争いがなくても、人間は平和というものを感じることが出来る生命なのだろうか。

そして、平和が実現した世界で戦争をしている(させられている?)存在の生きる意味って何なのだろう。


「毎日がただなんとなく過ぎ、漠然とした記憶だけがある。私はいつからこうしているのだろうか・・・?」

生きているという実感がないままこの世に生存していることと、死んでいることの間にどんな差があるのだろう。

日常が無感情に過ぎていくことが何よりも怖い。
記憶が埋もれていくんだ。

矛盾だらけの世界の中で生きている自分。
あまりに重い、みもふたもない現実から目を背け続ける世界で生きている自分。
ふとした瞬間に、考えたり感じたりして生きることがひどく嫌な社会だと思うことがある。
何も考えないで生きたほうが、幸せになれるんじゃないかと思う瞬間もある。

でも、やっぱりそれは違う。
「何かを変えられるまで生きる」
最後には、そう思える映画だった。
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2008年08月17日

ノー・マンズ・ランド

「ノー・マンズ・ランド」という映画を観た。

ボスニア紛争を題材にした映画。
ボスニアとセルビアの中間地帯ノー・マンズ・ランドの塹壕に取り残された、ボスニア軍兵士のチキ、ツェラ、セルビア軍兵士のニノ。
ツェラは地雷の上に横たわって身動きが取れない。
彼らを「人道援助」という「建前」のもと救出に向かう国連とニュースに群がるマスコミ。
世界の縮図が「塹壕」という狭い中に集約されたかのような話。


チキとニノは互いにけん制し合う。
「戦争を始めたのはお前らだ!」と言い争う。
武器を奪い合って、武器を得た方の主張がまかり通る。

でも、共通の女性の知り合いがいて、少し打ち解けるようなシーンもある。
そんなシーンも武器を手に持つと、打ち解けたことは無に帰す。
武器がなけりゃ分かり合える可能性があるんだ。
だけど、武器を持ってお互いを傷つけ、争いが始まった時より憎しみが大きくなってしまう。


国連の若いフランス兵は「傍観は中立ではなく加担しているのと同じ」との趣旨の発言をする。
だけど、その上官は自分の保身のほうを大切にしている。
マスコミがいる前でのパフォーマンスを考えたりする。
そして、実際に暴力が起きた時、国連にはどうすることも出来ない。


映画のラストシーン。
マスコミの2人の会話。
「塹壕の中は撮らなくていいのかい?」とのカメラマンに対し
「塹壕の中には何もないからつまらない」とリポーターは答え、現場を去る。
衝撃的な映像は撮れたから、テレビ的には問題ないと去る。

そして、映画のラストのカット。
頭の片隅で分かっていたけど、悪寒を伴う鳥肌が立った。
話の中心であるはずのことが、いつの間にかその中心から外れ取り残されてしまう。
犠牲者はいつだって世界中から取り残されて、忘れ去られていくんだ。


いろんな人間劇が行われている中で、地雷の上にただ横たわるツェラは何を想ったのだろう。チキとニノが言い争っていて「両方とも泥沼だ。もううんざりだ」っていう言葉が印象に残った。
そうだよな、もううんざりだよな。
世界中に、争いにうんざりしている人はどのくらいいるのだろう。


戦争映画だけど、戦闘シーンはほとんどありません。
戦争時のいろんな立場の人間がうまーく描かれている。
また、戦争という緊迫している映画のはずだが、その緊迫感が抜けるシーンもある。

美しい草原に青い空。
新聞でルワンダの記事を読んで「こんなにひどいことが起こるなんて」と叫ぶ兵士。
英語が分からないのに適当に「YES!」とだけ答える検問所の兵士。
ローリングストーンズのTシャツを着ている兵士。
・・・などなど。
監督さんはボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身。
実際にボスニア紛争の最前線でカメラをまわした経験があるそうで、そういった経験も元になっているのかな。
だから、戦争の実際の戦闘以外の悲惨さのリアリティがある。

そして、一面的ではない。
戦争の無意味さがぐっと伝わる映画でした。
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地球でいちばん幸せな場所

「うちの家族はとっても仲良し」って歌を両親を亡くした孤児に歌われたら、自分はどんな表情をすればいいんだろう…。

「地球でいちばん幸せな場所」という映画を観ました。



あらすじ(Yahoo!より)
孤児のトゥイ(ファム・ティ・ハン)は叔父のもとを飛び出し、ホーチミンで花売りの仕事にありつく。最初の日の夜とその翌日、トゥイは屋台で食事をしていたフライトアテンダントのラン(カット・リー)、そして飼育係の青年ハイ(レー・テー・ルー)と立て続けに出会い親しくなる。トゥイはランとハイが恋人同士になればと思い描くが……。


ストーリーは客観的にみれば「ベタ」なのでしょう。
でも、なんだか心温まるような映画でした。
ストリートチルドレンの女の子が主人公なのに、映画のトーンが明るいんだ。


「うちの家族はとっても仲良し」と、ストリートチルドレンの花売りの子供たちが歌うシーンがある。
笑顔でいい表情で。
なんともいえない気持ちになった。


実際、ホーチミンに行ったことがあって、花売りの子どもがたくさんいたなぁ。
外国人を見つけると、子どもがやってくる。
1人から買うと、次から次へと子どもがやってくる。
そのことを分かっているから、買わなかった。
でも、なんだかすんごく、自分が冷たい人間なんだなぁ、と思ってしまった。
はたまた他の国では1人の子どもからは物を買ったけど、他の子がやってきても買わなかった。
そこでも、「1人の子から買ったけど、他の子から買わなかった」みたいな自己矛盾を感じたりした。
そんなことを思い出したりした。

今だったら、何も考えず買ってしまうお人好しな人間になっているかもしれない。
あ〜、でも例えば物乞いの人にわずかなお金をあげることに、何の意味もないのかもしれない。
だけど、お金をあげて相手がほんの少しでも命を永らえることができたなら、ほんの少しでも美味しい食べ物を食べられたなら意味はあるのかもしれない。
偽善の域を超えないけど、1人の人間がたった1人の人間でも幸せにすることは大変なことだから。
と思いつつ、それが相手を堕落させてしまっているのでは、という思いもついて回る。
東南アジアに行くと、いつも思う、答えの見えないことです。


映画の基本ベースは明るいんです。
チャーミングな恋愛です。
でも、その背景にストリートチルドレンや都市開発に伴う大気汚染の話が日常の中に溶け込んだ形で出てくる。
ジャーナリズムとかだったら、スポットを当てて取り上げるところを、日常の中に当たり前に存在するものとして、さりげなく映画に出てくる。

こういう環境で生きているんだぜ。
こういう環境で笑って泣いて恋をして生きてるんだぜ。
そこにいるのは、まぎれもない人間だ。
国は違えど僕らとかわりのない人間だ。



映画を見て思ったのは、どこの国も人間らしさを失わないで発展していって欲しい。
人間らしさを失わない社会の定義が難しいけど、そういう社会を目指さないと、貧困問題が解決しても生きやすい社会を構築することは出来ないだろうと自分は思う。
そして、映画を見てちょっぴり素直な気持ちになれるのでした。

あ〜、ベトナムの屋台でフォーを食べたくなった。




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2008年08月09日

崖の上のポニョ

崖の上のポニョ、観ました。
既に観たと言う知り合い数人からは、あまりよくなかったと聞いていたけど…個人的には好きです。

子どもに戻った気分。
そうすけもポニョもまっすぐだなぁ。
だけどそのまっすぐさは、恐ろしいものでもあるんだなぁ。

この映画に出てくる人は、みんな人としてかわいらしい。
誰だって、かわいらしいところを持っているんでしょう。
それが表に出るか出ないか、それを見てくれる人がいるかいないかの違いだけで。
宮崎駿の人に対するまなざしっていうのかな。
それが映画に現れていると思いました。

さて、映画を観ていて、分からないことが多い。
ほんと分からないことに説明がなくて、分からないまま。
「おっと、これはなんでだ??」と思うことがしばしば。

でも、世の中には分からないことがあるんだと感じることが、世界を深く知るための一歩だと思う。
自分は映画や本なんかで、分からないことがあると自分の中で勝手に想像する楽しみがあると思っている。
答えが用意された作品はスッキリするけど、それでおしまいだ。
それはそれでいいと思うし、構成のしっかりした名作がたくさんある。
だけど、自分は答えがない作品でもその答えのない部分を想像する楽しみがあって好きだ(人によってはそれを失敗作という人もいるけどね…)

ポニョは映画を批評するタイプの人間は、あまり見ないほうがいいかも。
映画は感じるものだと思う人は、見ると面白いと思います。

映画館では、子どもの笑い声が聞こえました。
それがなんだかとってもよかったです。



さて、まちをフラフラしていたら「東京都障害者総合美術展」というのをやっているのを発見し、行ってみました。
障害のある方のいろいろな作品がありました。
作品を見ていて、描きたいから描いたもの、作りたいから作ったものに溢れている気がした。
本当のアーティストは金や名声なんて関係なくて、作りたいから作る、それ以上の理由はないんだろうな、なんてことを思ったりもした。
明日まで池袋西武でやっているみたいですよ〜(入場無料)



それにしても、激辛ラーメンで有名な店でラーメン食べたのだけど…辛かった!
でも、食べているうちにだんだん慣れてきて、最後には美味しく感じました(笑)
汗だくになりながら、むさぼりました。
クセになるかもな〜。
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2008年07月13日

いただきます

「潜水服は蝶の夢を見る」という映画を観た。
全身が麻痺してしまった男の物語。
唯一、まばたきだけはできる。
そのまばたきだけが、外部との意思疎通。
乙一の小説で全身麻痺になる物語を思い出したりもした。
(こっちは目も見えなくなっているんだっけかな…)

自分の中にあるものを外に表現するのは、五体満足であっても難しい。
なのに、声を失い、体も動かずまばたきしか出来ない中で、何が出来るだろう。
映画が体の動かない主人公の視点で描かれていて、伝わらないもどかしさが伝わる。
脳は正常だから、相手の言っていることは分かる。
だけど、相手に伝えられない。
本当はこう思っているのに、伝えることが出来ない。
ひどくもどかしい。


でも、彼はまばたきだけで本を書き上げる。
周りの人がアルファベットを読み上げていき、作りたい単語のアルファベットでまばたきをする。
その繰り返しで、単語を作り、文章を作っていく。
彼と彼の言葉を受け取る人の努力のたまものでしょう。


人間にとって自由って何なんだろう。
彼の体は動かない。
だけどイマジネーションの中で、自由に動き回る。
子どもを抱くことも出来ない。
だけど、見ているだけで幸せを感じる。

一人の人間がこの世に存在していること。
それは本当にかけがえのないこと。
せっかく生きているなら、感情を持って生きたい。
なんとなく、そう思った。

崩れ落ちた氷河が再生されていく。
大切なのは人の心。
失ったり欠けてしまったのなら、取り戻しに行こう。
なんてな。

…映画を観終わった後に実話と知る。



「いのちの食べかた」という映画を観た。
江頭2:50が「食のモダンタイムス」と言っていたけど…まさにそんな感じのドキュメンタリー映画です。
機械化の進んだ食料生産の現場。
肉があんなふうに、魚があんなふうに、野菜があんなふうに…。
ぞっとした。

効率性を追求した結果、いのちがいのちでなくなっている。


とある予備校講師がこんなこと言っていたなぁ。
「『いただきます』って作ってくれた人への感謝だけじゃないんだよ。『あなたのいのちをいただきます』って意味もあるんだよ」
うちらはいのちを食べることで、いのちを維持している。
それは、生きていく上で仕方が無いこと。

問題なのは、行き過ぎた効率性がその「いのちを食べている」意識を失わせているんじゃないかと思う。
「いのちは何よりも大切なもの」と雄弁に語るよりも、毎日食べているいのちに感謝して生きることが、第一歩なのかもね。

毎日食べているいのちを大切にできれば、人と人で争うことはあっても、殺し合うほどのひどいことにはならなくなるんじゃないかなー、と思ったり。
少なくとも、食べ物を大切にしようと思うし、いろんな場で捨てられる食物を「もったいない」「どうにかしたい」と思うだろう。

そういや小学生の頃、アフリカの難民キャンプの映像を見て、アフリカと日本をベルトコンベアーでつないで、日本で残った食べ物をアフリカに送ればいいじゃん、なんてことを思ったことがある(笑)
給食とかけっこう残ったりするから、それをアフリカまで、みたいな。
…これは無理だとしても、食料が先進国に渡りすぎているのは確かだから、(今の経済の仕組みの中では難しいけど)分配についても考えんと。

食料の値段が高騰したり、食品偽装が問題になっている中で、「食」については見つめなおす必要があるね。
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シークレットサンシャイン

「シークレットサンシャイン」という映画を観た。

自分の血が流れ出るような痛みを感じた。

大切な人の死を乗り越えられない。
憎んでいる相手を許したいのに、許すことが出来ない。
人間は、矛盾の塊だ。

人生は何があるか分からない。
時に人は乗り越えられない壁にぶち当たることがある。
そんな時、精神が正常で生きられないだろう。
心がだめになっていく。
自分には、そうなる状態がなんとなく分かる。
観ていて、本当に心が苦しかった。

でも泣けなかった。
安易に泣けない程、人間の闇を残酷に描いているからだと思う。
心にぽっかりと開いた穴。
そんな時、何かにすがりたくなる。
でも、すがるものが何もなくなったら、どうする?

心に支えが見当たらない。
支えがなくても、生きていかなくちゃいけない。
受け入れられないことがあっても、吐き気を感じながらでも生きなければならない。

苦しいことも辛いことも、誰にもいえない。
孤独を抱える。


宗教の描き方も、自分の知る映画の中ではトップクラス。
罪人の表情があんなにも晴れやか。
だけど、宗教によって「許す」ことを決意した彼女の表情は…。
なんで?どうして??
人間って時に悲しい生き物になってしまう。


でも、映画が終わって絶望はしなかった。
それは、人間をありのまま描いているから。
嘘のないありのままの姿には共感がある。
あぁ、自分と同じだ。
共感があれば、孤独ではなくなる。
孤独でなくなれば、絶望は消える。

絶望的なストーリーの中に、人間そのものが入っている。
人間そのものってことは、たとえ多大な負の中にあっても正があるということ。
一面性だけで、人間は語れない。
あのささやかな光が、あたたかなものであることを願う。



映画のところどころ、青空がすんごくきれいで。
映画館を出た後、思わず空を見た。
気がつけば7月で夏の空。
喜びも悲しみも、同じ空の下で起きているんだね。
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2006年09月25日

映画「ダヴィンチコード」

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映画「ダヴィンチコード」

カンボジアに行くとき飛行機でやっていたので観ました。
飛行機の中で眠くて内容がうろ覚え・・・。
今度じっくり見てみたいと思います(笑)
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映画「有頂天ホテル」

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映画「有頂天ホテル」

大晦日、様々なイベントが目白押しでごった返すホテル・アバンティ。そんな時に副支配人の新堂は別れた妻と再会。妻は再婚していたが、その再婚相手はホテルの目の上のタンコブであるコールガールのヨウコと浮気を。そんなことは知らぬ新堂は、つい元妻に見栄を張って大嘘をついてしまう……。


三谷さんはさすがです。面白いです。
ホテルに泊まる人間同士がいろいろと絡み合う脚本は一品!
ハハハと笑いながら見ることのできる娯楽大作ですね。
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映画「ALWAYS3丁目の夕日」

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映画「ALWAYS3丁目の夕日」

昭和33年。東京の下町の自動車修理工場に、集団就職で青森からひとりの少女が就職してきた。六子は大きな会社を期待していたが、小さな工場でガッカリ。それに怒った社長の則文だが、やがて六子は則文の妻トモエや息子の一平らと仲良くなり、一家になじんでいく。一方、売れない作家の茶川は、飲み屋のおかみのヒロミから、親に捨てられた少年・淳之介を押しつけられ、一緒に生活することに。最初はけむたがっていたが、淳之介が自分が原作を書いている漫画のファンだと知り、次第に距離が縮まっていく。そんなとき、淳之介の本当の父親が現れ…。


アットホームですね。この時代への郷愁のようなものを感じた。
下町ちっくな人間ドラマ。
この時代にも色々な問題もあったはずだが、きれいなものだけを取り出して私たちに観せてくれた。
だから、観ていて何も考えずにすみ心地よい。
なぜか懐かしさを感じる。
それは、人情の溢れた風景が描かれているからだと思った。
ただ、この映画は良い映画だとは思うが、世間の反応は高すぎる気がする。
この時代は良かったと思う人が多いのかな〜。

であるならば、クレヨンしんちゃんの大人帝国の方が好きかな。
同じようなテーマだけど、しんちゃんの映画はベクトルが未来を向いているから。
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映画「ユリイカ」

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映画「ユリイカ」

九州で起きたバス・ジャック事件で、辛くも生き延びたバス運転手・沢井(役所広司)と、乗客の直樹(宮崎将)、梢(宮崎あおい)の姉妹は、2年後に偶然再会したのを機に共同生活を始めるようになる。そこに兄妹の様子を見に来た従兄の秋彦(斉藤陽一郎)が加わり、疑似家族の様相を呈してきた4人は、やがて再びバスに乗って再生の旅に出た…。


セピア色の世界がどことなく非現実な世界観を感じさせた。
それは心理的ショックを受けた人間の風景のような気もした。
どこかぼんやりとして、存在感のないようなそんな感じ。
とても眠いときに観たので、眠きないときにもう一度観たい。
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映画「さらば、わが愛 覇王別姫」

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映画「さらば、わが愛 覇王別姫」

中国激動の時代に生きた、京劇俳優の程蝶衣と段小樓。女形の蝶衣は段小樓を愛していたが、彼は娼婦と結婚してしまう…。戦争が、京劇という芸術の世界も侵しつつあった時代を背景に描かれる、ふたりの男たちの愛憎のドラマ。
前半は、京劇の学校で厳しい訓練に耐える主人公の少年ふたりの友情にスポットをあて、後半は、時代の波に飲まれながらも、愛と演劇を貫く男たちのストーリーがつづられる。段小樓を愛しながらも、その愛を得ることができず、苦悩する程蝶衣を演じるレスリー・チャンの艶やかな美しさが圧倒的な存在感を見せる。段小樓と結ばれる娼婦はコン・リー。


レスリー・チャンの妖しい演技がとてつもなく光っている。
彼の演技には吸い込まれてしまうようだ。
歴史や状況に翻弄される人間の姿が悲しく描かれていた。
叶わないという切なさが伝わってきました。
もっと上手に生きる道があっても、なかなかそれってできないものだねぇ・・・。
posted by のっち at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画「フルメタルジャケット」

フルメタルジャケット.jpg

映画「フルメタルジャケット」

アメリカ南カロライナの海兵隊新兵訓練所に入隊したジョーカー、カウボーイ、パイルら若者たち。彼らは鬼教官ハートマンのもとで、毎日地獄のような猛訓練に耐えるが、卒業前夜にパイルが教官をライフルで撃ち殺し、自殺するという事件が起こった。数か月後、ジョーカーは戦地ベトナムでカウボーイと再会、共に戦うべく最前線へ向かうが…。


ベトナム戦争ものです。キューブリック監督ものです。
戦争映画で戦争に行く前の訓練について描くのは珍しいと思います。
人間の理性が麻痺していく過程が描かれているように感じます。
戦争をする側にとって兵士の理性は邪魔になりかねない。
理性はおそらく殺人を拒む。
ラストシーンのミッキーマースマーチには寒気がした。
そしてエンディングテーマのRolling StonesのPainted Blackを聞いているとどうしようもない気持ちになる。
この映画を観た後では、ドラマチックな戦争映画を観ても感動はしないだろう。
戦争はドラマチックでもなんでもなくただの破壊であるのだから。
posted by のっち at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画「逆境ナイン」

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映画「逆境ナイン」

突然、校長(藤岡弘)より廃部を言い渡された全力学園野球部キャプテン・不屈闘志(玉山鉄二)。何事にも“全力”な不屈は、部を存続させるために無謀にも甲子園出場を宣言。だが、彼の行く手にはさまざまな“逆境”が待ち受けていた! 野球を知らない監督、榊原剛(田中直樹)……。マネージャーの月田明子(堀北真希)との“恋”か“野球”かの究極の選択……。そして、逆転不可能な9回裏ツーアウト112対0!!……。弱小野球部を守るため、不屈闘志の魂が熱く燃える!!

ひたすら笑いました。
得体の知れないポジティブさには感服しました。
あほなストーリーに爆笑、爆笑、爆笑!!
最初から最後まで笑わせ続けるのはすごいよ。
笑い疲れました。
こんなあほなストーリーに爆笑する俺もあほ(笑)
でも好きだ〜、こういうの☆
posted by のっち at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月22日

映画「蟻の兵隊」

蟻の兵隊.jpg

あらすじはホームページからの引用です。

今も体内に残る無数の砲弾の破片。それは“戦後も戦った日本兵”という苦い記憶を 奥村 和一 ( おくむら・ わいち ) (80)に突き付ける。
  かつて奥村が所属した部隊は、第2次世界大戦後も中国に残留し、中国の内戦を戦った。しかし、長い抑留生活を経て帰国した彼らを待っていたのは逃亡兵の扱いだった。世界の戦争史上類を見ないこの“売軍行為”を、日本政府は兵士たちが志願して勝手に戦争をつづけたと見なし黙殺したのだ。
 「自分たちは、なぜ残留させられたのか?」真実を明らかにするために中国に向かった奥村に、心の中に閉じ込めてきたもう一つの記憶がよみがえる。終戦間近の昭和20年、奥村は“初年兵教育”の名の下に罪のない中国人を刺殺するよう命じられていた。やがて奥村の執念が戦後60年を過ぎて驚くべき残留の真相と戦争の実態を暴いていく。


いくつか箇条書きに感想を書きました。

○中国人女性との対談
一番印象に残った場面。
戦争中、日本兵の被害を受けた中国人女性と対談する。
その中で「いまのあなたは悪人には見えません」と女性は奥村氏に言う。
こういうのが和解なんだなぁ、と感じた。
戦闘が終結して和平条約を結んでも、それは個人の和解にはつながらない。
奥村氏のような姿勢と、中国人女性のような姿勢があってはじめて成り立つものなのだなと思った。
しかし、両者がそのような姿勢になるまでには、どのような心理的な葛藤があったのだろうか?
ちょっと想像するだけで、ズキズキと痛むものがある。
戦争に生き残ったとしても、重いもの背負って生きていかなければならない。
そのような状態を作り出す戦争を正当化することは、僕にはできない。
リアリズムなハードパワー論では戦争・軍備は必要不可欠なのかもしれないけど、どうにかならないものか考えてしまう。

○唸り声
一番胸に焼き付いている場面。
ベットで寝たきりの上官の元に会いに行く。
「もう何も分からないので・・・」と上官の娘は言う。
だけど、奥村氏が言葉をかけると、なにかを伝えたいのかうめき声を上げる。
そのうめき声はすさまじいものだった。
生きる最後の力を振り絞っての声のように感じた。
やはり、真実が証明されないというのは悔しい思いがした。

○組織
組織の中で個人はどのように扱われるのでしょう?
一時期、ある宗教団体に所属していたうちの母は、その頃を思い出すとこんなことを言う。
「組織の中で個人の感情は排除される。個人に自由はない。自由だと思わせられる」
宗教組織と軍隊組織を同一視することに妥当性はないかもしれませんが、いくつかの共通点はあると思う。
軍隊組織の中でも個人はないがしろにされる面があると感じます。
そして、個人という感覚が麻痺したとき、上官の命令を素直に受け入れ人を殺してしまうのだと思った。

○権力者
残留を命令したと思われる男は、中国と密約を交わして、部下を置いてのうのうと日本に帰国したと映画では伝えている。
こういう権力者はごろごろいると感じた。
戦争というのは権力者(または国家)が個人をないがしろにする罪も持ち合わせているのだとあらためて感じた。
個人より大事なものがあると多くの人間が信じたとき、容易に戦争が起きてしまうのでは、と感じた。

○裁判
棄却理由などを詳しく知りたかった。
また、裁判・司法に関してあまり分からないので、簡単な下地程度のことは知っておきたいと思った。


それから、全体を通して感じたのは自分の勉強不足です。
知らないことが多すぎるので、感覚的な感想でストップしていた自分に気がつきました。
普通の映画を観るのなら感覚的でいいと思いますが、こういう映画を観るときは、感覚的なものと論理的なものの両方を備えて観れるようになりたいと思いました。

この映画ではドキュメンタリーという手法で戦争はよくないということをあらためて感じた。
だが、いつも思うことだが、戦争はよくないと感じているだけでは何も変わらないと思う。
戦争はいいか悪いかと問われて、多くの人間は悪いと答えるだろう。
でも、戦争はなくなってはいない。
戦争はよくないという認識は大切だけど、戦争をなくす、少なくとも減少させるためには何が必要かというふうに考えを発展しなければ、戦争はなくならないと思う。
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2006年07月16日

映画「真昼ノ星空」

mahiru.jpg
こんな映画を観ました。
ミニシアター系ですね。
あらすじ
リャンソンは台湾人の殺し屋だった。今はひとつの仕事を終え、沖縄に身を潜めている。孤独はとっくになれてるし、生活は穏やかだ。でも本当に心が静まるのは、キラキラ光るプールの水の中だけだった。土曜の夜のコインランドリー。けだるい足取りで、彼女は必ずやって来る。寂しげで美しい彼女の横顔。胸が高鳴る。「あなたが好き。」と彼は由起子に伝えた。これがはじめての恋だと。けれど由起子は、彼を愛することができなかった。サキは、誰も来ない市民プールの受付に座っていた。いつまでもこの退屈な真昼が続いていくように思えた…。三人の孤独は、ゆるやかに交差する。それはどこまでも青く澄んで、何もかもを見透かす光のようで、少しだけ、痛い。


沖縄が舞台の映画です。
なんというか、感じる映画。
青い空、雲の流れ、風の音、部屋から見た光差す庭、簾のざわめき。
日常の中にあるなんでもないものが美しく見える。
そういう映画。

リャンソンのなんというかいやらしくない真っ直ぐさがよかった。
人を好きになれることって幸せなことなんだよなー、と思った。
沖縄のきれいな風景に、素敵な時間の流れ方。
観ていてとっても心地よかった。

それにしても、最後のシーンは謎。
本当の出来事なのか、リャンソンの想像なのか。
本当の出来事ならいいんだけど、リャンソンの想像なんだろうなーと思ってしまう自分でした。
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2006年05月23日

映画「ザ・エージェント」

ザ・エージェント.jpg

実験でへとへとな者です。
さて、学科の友達に「お勧めの映画ない??」と聞いたところ、後日DVDを持ってきてくれました。
ありがとう。
「ザ・エージェント」です。
あらすじ。

スポーツ・エージェントのジェリーは、選手の年棒をつり上げるだけのやり方に疑問を持ち、会社に提言書を提出した。だがクビになってしまい、彼はただ一人共感してくれた会計係のドロシーと共に独立するが、クライアントは、落ち目になったアメリカン・フットボールの選手ロッドだけだった……。


順調な人生を歩んできた人間が挫折を知る。
挫折から立ち直っていく姿が素敵ですね。
アメリカン・ドリームって感じ。

生きてれば正しいことをしていても、少なくとも間違ったことをしていなくても誰かに突き落とされることがある。
でも、そんな時に大切なのは短期的な視点・利益に立った行動ではない。
自分のおかれた立場を呪ってみても何の解決にもならない。
大切なのは人の心。
周りにいる人間の心、自分自身の心、それらを大切に出来なければ、どこにも進むことが出来ないと思う。

キューバ・グッディング・Jrのファンキーさがよかった。
トム・クルーズかっこいいですね。
よい映画でした。
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2006年05月20日

映画「アンジェラ」

アンジェラ.jpg

ふと思いついて、ふらっと映画を観に行きました。
「ダ・ヴィンチ・コード」の公開日にあえて「アンジェラ」を観ました。
あらすじ。
アレクサンドル三世橋からセーヌ河の見下ろす男アンドレ(ジャメル・ドゥブース)は、身投げをして何もかも終わりにしようとしていた。そこへ透けるような白い肌と神々しく輝く金色の髪、さらには滑らかな曲線を描く肢体を持つ謎の美女アンジェラ(リー・ラスムッセン)が現れ、彼よりも先に河へ飛び込んでしまうが……。


白黒の映画です。
映像がきれい。
白黒映画で光の水に反射しているのが好きだ。
芸術的。

アンドレは自分にコンプレックスがありまくりで、自分に嘘をついて生きているような男だ。
それで、思い通りにいかないでいる。
あ〜、なんか分かる〜。

鏡のシーンが好き。
アンジェラによって、アンドレは少しずつ自分に向き合っていく。

観ていると気がつくことがいろいろあって、面白かった。
評論家に言わせると「作りこんでしまっている」的に批判されたりもしているようだが、そんなこと言っちゃ映画は楽しめませんよ。
自分はいい映画だと思います。
posted by のっち at 18:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月16日

映画「夏休みのレモネード」

夏休みのレモネード.jpg

こんな映画を観ました。
「夏休みのレモネード」
M・デイモンとB・アフレックプロデュースによる、宗教の壁を越えた少年同士の交流を瑞々しく描くドラマ。夏休みのある日、カトリックの少年・ピートは白血病を患うユダヤ教の少年・ダニーに出会う。2人は天国にいくための“10個の課題”にチャレンジする。


ほのぼのとした物語でした。
子供が純粋に行動する。
その姿は見ていてすがすがしい。

「信じる神がなんでも、信じることで天国に行ける」みたいな台詞を主人公の子供が言って、いい言葉だと思った。
宗教でいろんな争いが起きたりするが、他者に寛容にならなければ争いはなくならないのだろう。
いろんな宗教が世の中にあるが、他者を排斥するような宗教は嫌いだ。

また、子供と真摯に向き合うことの大切さも感じた。
ピートの父親は子供の話をあまり聞かないような人だったのだが、映画の最後の方では変わる。
案外、この映画で一番成長したのは子供ではなく父親かも!?

なんというか、心がすっと軽くなる映画でした。
posted by のっち at 21:19| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画「モンスター」

モンスター.jpg
今日はこんな映画を観ました。
「モンスター」
1986年、フロリダ。ヒッチハイクをしながら男に身体を売る生活に疲れ果てたアイリーン・ウォーノス。有り金の5ドルを使い果たして死のうと決め、飛び込んだバーで、彼女は一人の女性セルビーと運命的な出会いを果たす。同性愛の治療を強制されフロリダにやってきたセルビーもまたアイリーンと同様に社会からの疎外感を抱いて生きていた。初めて自分を偏見なく受け入れてくれる人物と出会ったと感じたアイリーンは、“ふたりで暮らそう”と提案する。そのためにお金が必要になった彼女は、再び客を取るため道路脇に立つのだったが…。


実話を基にした連続殺人犯の映画です。
「モンスター」という名で呼ばれた、連続殺人犯の物語。
モンスターというレッテルを貼られた、人間の物語。
そう、決してモンスターの話ではない、人間の話である。
シャーリーズ・セロンによる鬼気迫る演技が光る。

モンスターというレッテルを貼り、悪魔のような行いをする人間を切り捨てることは、何の解決にもならない。
確かに自分の理解できない行いをする人間を、自分と切り離して考えるほど楽な生き方は無い。
でも、それは逃げである。
しかし、相手を理解するには自分が傷つく覚悟も必要である。

物語はどうしようもないくらい、流れが悪い方へ悪い方へと進んでしまう。
悪い流れが加速すると、それを変えることは自分の力では容易なことではない。
流れが変わるのを待つ、強い忍耐力が必要な時もある。
それは、とてつもなく辛いことだ。
特にアイリーンのように何も信じるものが無ければ、なおのこと・・・。
posted by のっち at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月14日

映画「ホテル・ビーナス」

ホテルビーナス.jpg

今日はこんな映画を観ました。
「ホテルビーナス」

ワケありの流れ者たちがひっそり暮らすホテルビーナスに、ある日不思議な父娘が現れた。頑なに心を閉ざす娘に、ホテルの世話係でもあるチョナン(草なぎ剛)は心を配る。それとともに、他の住人たちも少しずつ前へ向かって歩みだそうとしていく……。


メッセージがストレートで心地よい映画でした。
スポットライトのあたる登場人物が多いので、それぞれの内面をさらっと見せてくれる。

きれいな映像。
うっすらと青みのかかったモノトーン。
不思議な世界へと誘われる。

いいな、こういう場所に行きたいな。
人生の小休止というか。
歩きつかれたときにふと立ち止まるための場所というか。

使いまわされた言葉かもしれないが、「重いものを背負っている者ほど、高く飛ぶことができる」という台詞があって、根拠は全くないがそうあって欲しいなと思った。
ずいぶん昔から重いものを背負って、また背負って、さらに背負ってを繰り返しているが、いまだ何も出来ていない自分がいる。
そんな状況を諦めつつ、心のどこかでどうにかしたいと思っている。
だから、この台詞は今の僕の願いだな。
まっ、自分で何かしなければ何も変わりませんが・・・。

さて最後に香取君が出てきたのだが・・・あれは無理やりだな(笑)
posted by のっち at 22:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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