2006年04月13日

映画「デッドマン・ウォーキング」

デッドマンウォーキング.jpg

今日はこんな映画を観ました。
あらすじ。
仲間や若いカップルを惨殺した罪で死刑を宣告されている囚人マシュー(ショーン・ペン)と、彼を救うべく特赦査問会を要請する尼僧ヘレン(スーザン・サランドン)。やがて嘆願が却下され、死刑執行の日が迫るなか、マシューの頑なな心は開かれていく…。


加害者の立場と被害者の遺族の立場が描かれている。
だから、どうしようもない気持ちになる。

加害者の罪は消えない。その罪を理解していない加害者が自分の罪を理解する。心の底から、その罪を認める。
そういう人間を死刑の名の下で殺すことに、正当性や正義を感じたくない。

被害者の遺族の憎しみは消えない。その憎しみがほんの少しでも和らぐためには、遺族の代わりに国が罰を与える。
残虐な人間を犯した人間に、遺族の代わりに殺すことは仕方の無いことと言えなくもない。

死刑についてはかれこれ中学の頃から、自分の中で思ったり考えてみたりしているが、ますます分からなくなるばかり。
死刑が行われたからって、遺族の憎しみが消えるとは限らない。
逆に、加害者が罪を悔い改めるとも限らない。
国であれ人を殺すことを法の名の下に正当化することは正しいのか。
残酷な事件の起きる世の中。この社会とは何か、その社会に生きる人間とは何か、その人間の持つ命とは何か・・・。

映画の中に子供の写真が出てくる。
殺された若者の子供の頃の写真と殺した男の子供の頃の写真。
どれも光り輝く笑顔の写真。
でも映画の中でそれは悲しく映る。
posted by のっち at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月12日

映画「誰も知らない」

誰も知らない.jpg
以前から気になっていた映画のうちの一つ。
借りて観ました「誰も知らない」
あらすじです。
母子家庭の4人の子供たち。それぞれ別々の父親を持つ子供たちは、学校に通ったこともなかったが、それなりに幸せな毎日を過ごしていた。しかしある朝、20万円の現金を残して、母が失踪する。この日から、誰にも知られることのない4人の子供たちの生活が始まり…。


いま、映画を思い起こしてみる。
場面場面だけを切り取ってみると、とても美しい映像が浮かんでくる。
日常の中の美しさ。
夏の公園、太陽の光の差し込む部屋、ベランダに干された洗濯物・・・。
子供達はほとんどの時間、楽しそうに生活している。

だけど、心が痛い。
いや、だから心が痛い。
日常の中に淡々とした悲しさがある。

泣くことなんてめったにないんだけど、映画で久々に泣いた。
号泣ではなく一筋ですが。
ドラマティックでも衝撃的でもないのに、どうしようもなく悲しい。
日常の中に漂う空気が、なんとなく自分にシンクロしたんだと思う。
客観的に言わせてもらえば、この映画で泣く人はあまりいないと思う。

子供達がどういう状況にあるのか「誰も知らない」
子供達が何を感じているのか「誰も知らない」
いや、他人の事なんて誰も何も知らないのかも。
ある意味当たり前で、ある意味残酷。

映画の趣旨とは違うと思うんだけど、相手を分かろうとしない限り、自分を分かってもらえることもないんだなー、となんとなく思ったりもした。
・・・当たり前か。

それにしても、柳楽君の眼力は凄いですなぁ!
posted by のっち at 23:28| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月10日

映画「プロデューサーズ」

プロデューサーズ.jpg

観てきました「プロデューサーズ」
あらすじです。
1959年のニューヨーク。落ちぶれた大物演劇プロデューサー、マックスの事務所に会計士のレオが訪れた。帳簿を調べたレオが、ショウがこけたほうがお金が儲かるという摩訶不思議な事実に気づいたことで、マックスのやる気が充満。レオを巻き込み、大金をせしめようと、初日=楽日を目指す史上最低のミュージカルのプロデュースが始まった!そしてまたとない史上最低の脚本「春の日のヒトラー」が見つかる。


ひたすら面白かった!
ギャグ満載!下ネタもたくさん(笑)

ミュージカル映画なので音楽がよい。
明るく踊りたくなるような音楽。
その世界に入り込むことが出来れば、夢のような2時間を過ごすことになるでしょう。
アメリカのエンターテイメントにアレルギーがなければ、誰でも楽しめる映画だと思います。

観終わって思ったのは、もうちょっとアメリカの文化を知っていれば、もっと英語が分かれば、笑う箇所も多くなるんだろうな、と思いました。
もちろん、そういうのが分からなくても充分楽しめます。
字幕も工夫されていたと思います。

そうそう、この映画をこれから観にいく方、エンドロールは最後まで観ましょう!
posted by のっち at 21:07| Comment(2) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月04日

映画「Touch the Sound」

touch the sound.jpg

今日はバイトのあと、Touch the Soundという映画を観にいきました。
関東では渋谷でしかやっていないので、はるばる渋谷に向かいました。

あらすじ
パーカッショニストのエヴリン・グレニーは、ギタリストのフレッド・フリスと共に、新しいCDの録音でドイツのケルンにある廃墟となった大きな工場跡にやってくる。二人にとって、周りにある様々な機械や手すりも楽器、そこから新たな音を紡ぎ出していく。 聴覚障害のあるエヴリンは、非常に音が聞こえにくい。しかし、彼女は、体のあらゆる感覚を通して音を感じている。ニューヨーク、日本、カリフォルニア、イングランド、スコットランド・・・と、私たちはエヴリンとともに、日常に潜む“音”を体験していく。街や空港や石庭や海岸でエヴリンがみつけた音、街にあふれる音のオーケストラをバックに、アーティストとの共演が始まる。エヴリンの音楽世界が、美しいポートレートように描かれていく。



映画の終わった後、不思議な感動を味わいました。
この類の感動は初めてです。
なんというか、自分の五感が解放されていく感覚。
そう、感覚です。
まるで、いろんなしがらみから抜け出して、自由になったような錯覚に似ている。

世の中にはいろんな「音」が満ち溢れているんだな、と思った。
そして、いろんな音を無意識のうちに自分の意識から遮断してしまっているのかな、と思った。
映画が終わった後、一人耳を澄ませ五感をはたらかせ、渋谷の騒がしい町の中でいろんな音を感じた。
それは不協和音のようであり、生命の営みの音、つまり命のある音なのかも、なんてことを感じ帰宅しました。
posted by のっち at 22:42| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月17日

「ヒトラー〜最期の12日間〜」

ヒトラー.jpg

今日はDVD鑑賞です。
「ヒトラー〜最期の12日間〜」

1945年4月20日。ソ連軍の砲火が押し寄せるベルリン。ヒトラーとその側近たちは、総統官邸の地下要塞に避難していた。もはや敗戦を疑う者はいなかったが、正常な判断力を失ったヒトラーは、わずかに残った軍勢に戦況の挽回を命じ、惨状をさらに悪化させてゆく。狂気の独裁者を前に、選択を迫られる側近たち。最期まで運命をともにしようとする者、袂を分かって逃亡を謀る者、酒と享楽に溺れて現実逃避する者。そんな一部始終を間近で目撃していた総統付き秘書のユンゲは、ある日、ヒトラーから遺書の口述筆記を依頼される―。


末期的な人間とは恐ろしい。
行き場を失った人間は簡単に、自ら命を絶つ。
子供を道連れにする者までいる。

戦争映画というよりも、戦争を通して人間の暗部を描いた映画のように思えた。
戦争という極限状態での狂気・・・。

最後にヒトラーの秘書をしていた女性本人が出てくる。
そのメッセージはとても重いものである。

それにしても、市街戦は悲惨だね。
兵士も民間人も関係なくなる。
それは現代でも変わっていない。
考えるのも嫌になってきた・・・。
posted by のっち at 19:08| Comment(4) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月02日

サイレン

サイレン.jpg

昨日の夜、友達から突然のメール。
「サイレン観にいかない?」
とういうことで、行ってきました・笑
あらすじ。
病弱な幼い弟の静養のため、フリーライターの父と3人で夜美島へ引っ越してきた由貴。青年医師の南田に迎えられ、島を案内されながらも、由貴はなぜか、島民たちの奇妙な視線に居心地の悪さを感じていた。早速、隣家の女性から島で暮らすための忠告を受ける。彼女は最後に、「サイレンがなったら外へ出てはだめ」と言い残した。それは、この島にまつわる不気味な言い伝え。その日から由貴に、奇妙な現象が襲い始める…。


いろいろと謎が残ったまま終わってしまった。
もうちょっと、伏線を上手く使ったほうが・・・。
主人公の幻想と妄想の世界であったという結末。

まぁ、人間の目に見えるもの、耳に聞こえるものにどれだけ実在性があるのだろうね。
視覚、聴覚の認知しているものにどれだけ正確性があるのだろうね。
普通に生活していても、見間違いや空耳なんてのもあるしね。

観終わった瞬間は「なんだこれ?」と思ったシーンも、幻想、幻覚、幻聴、強迫観念なんてものを主人公が抱えていたとすれば、だいたい辻褄が合う。

誰かに対する愛情が自己を崩壊させることもある、と考えることが出来れば、主人公の存在を悲しいものとして捉えることが出来る。
深読みをすれば・・・。

主人公は時々姿の見えなくなる弟をずっと探している印象。
すっごい弟想いな反面、弟がいないと落ち着かないという感情も持ちあわせる。
誰よりも弟を想っていたが故、存在しない弟、狂ったように襲いかかる村人が見える。
そして、サイレンの音が聞こえる・・・。
実際には存在しない弟を必死で守る主人公の姿は、映画の終わった後で、初めて物悲しい姿に映る。

それにしても、市川由衣がいい表情をしていた。阿部寛はインパクトがあるね。
映画としては普通かな〜。
posted by のっち at 21:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月01日

オリバーツイスト

オリバー.jpg

観てきました、オリバーツイスト。
あらすじ。
19世紀の英国。天涯孤独の少年オリバーが救貧院を追放され、大都会ロンドンへとたどり着く。そこで彼は悪党フェイギン率いる子どもたちのスリ集団に加わるが、恐ろしい事件に巻き込まれてしまう。


賛否両論あるっぽいけど、俺は賛否両論の分かれる映画は好きなものが多い。
逆に誰もが好きだと言う映画を他人の言うほどいい物とは思わなかったりする(タ○タニック、ア○マゲドン・・・)
感想として、なかなかよかったんじゃないかと思う。

映画の雰囲気がいい。
ヨーロッパの雰囲気が伝わってくる。
暗い話のはずなのに、それほど暗さを感じなかった。
これは演出のマジックか?

あと、ヨーロッパの階級的なものも感じた。
別に主要なテーマではないが、やっぱ階級社会だなーと思った。

さて、主人公のオリバー。
彼にはこれでもか!ってくらい不幸がやってくる。
で、自分の力ではどうすることもできない。
その辺が観ていて歯がゆくなる。
自分の力でどうすることもできない時期って、試練だね。

フェイギンという人物がとても面白い。
誰からも優しくされたことのないオリバーに優しくしてくれた数少ない大人。
それが悪党とは皮肉だ。
けど、オリバーにとっては大切な人なのだ。

始めは、単なるハッピーエンドな映画なのかなと思っていた。
だけど、最後まで観ると単純なハッピーエンドでなかった。
最後まで観れば分かる人には分かると思う。
裕福な家庭に引き取られ、読書しているオリバー。
このシーンで終わっていたら、確かに「なんだ、この映画!?」となるところであった。

最後にオリバーは牢獄に入れられ、死刑を待つフェイギンに会いに行く。
悪人と言われるフェイギンも人間であった。
そして、フェイギンに恩を感じているオリバー。
孤児院などでは大人にさんざん人格否定されたオリバーだって、立派な人間だ。
フェイギンと別れなければならないオリバーの表情が切ない。。。
posted by のっち at 17:40| Comment(4) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月22日

ミュンヘン

ミュンヘン.jpg

本日、ミュンヘンを観てきました。

ストーリー。
ミュンヘン・オリンピックの最中、イスラエル選手団が何者かに襲われた。イスラエル側はテロリストの犯行とみなし、復讐を計画する。暗殺チームのリーダーに任命されたアヴナー(エリック・バナ)は、11人の標的を次々に消していくが……。


映画はイスラエルの諜報機関モサドの任を受けた主人公の男の目から見た、正義とは、祖国とは、平和とは、といったものが描かれている。
始めは人を殺すことに躊躇していても、だんだんと殺していくうちに殺人に対する感覚が薄らいでいく様が怖かった。

主人公には、暗殺の標的がテロに関わったという明確な証拠を提示されないまま任務を遂行していく。
だが、時間とともに自分の行っていることへの正義に疑問を抱く。
人は自分の行動に保証を欲しがる。
そこで、主人公は自分の殺したのはテロリストであったのだという明確な証拠を欲しがる。
だけど、モサドの責任者に問いただしても証拠の提示は一切ない。
組織というものは非情である。

映画の最後は世界貿易センタービルの映る風景で終わる。
テロで消えてなくなるビル。
悲劇の連鎖を止めることができない。
そんな悲しさを感じた。

現代はテロとの戦いの時代であると言われる。
しかし、テロはたたくだけでなくなるのだろうか?
映画の中でこんな台詞があった。
「殺しても、もっと凶悪な後釜がすぐに出てくる」

世の中で起こる大抵の物事には原因がある。
テロの起こる原因を知ることなしにテロはなくならないと思った。
posted by のっち at 22:03| Comment(2) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月03日

映画「風の谷のナウシカ」

本日の金曜ロードショーでやっていた。
小学生の頃に初めて見て、俺に大きな影響を与えた映画。
それ以来、何度見たことか。
環境というものに興味を持つきっかけとなった。

思えば、この映画には人生のレベルで影響を受けてるな。
環境に興味を持ったことで、生物学に興味を持ち、大学に入った。
環境に興味をもったことで、発展途上国に興味をもち、国際協力をやったりもしてる。

この環境問題を解決するにはいろんな知識が必要とされるだろう。
環境破壊や環境ホルモンの生物に与える影響を知るには、化学や生物学が必要。
地球温暖化による影響を知るには、気象学が必要。
環境に関する決まりを作るには法律学が必要。
持続可能な開発を続けるのであれば、経済学が必要。
国際的枠組みに取り組むのであれば、国際政治や国際法も必要。
列挙していったらきりがない・・・。

さて、俺の実家はかなり田舎。
部屋から森や山が見えたりする。
だけど、年月が過ぎるにつれて、少しずつ木が切り出され住宅地と化していっている。
その様子が腐海の広がるようすに重なってしまう。
森や山がなくなると、とても悲しい気持ちになる。
けど、自分の実家のある場所だって、ずっと昔は人間の住んでいない自然なままだったのだと思うと、そんな悲しむ権利はないと自己矛盾に陥ったり・・・。

なんか、環境について考えているとかなり頭が疲れる。
なにか実行でもすれば、変わるのだろうか?
今は、ゴミの分別やコピーの裏紙を使い紙の無駄使いを防ぐくらいしかやっていません。
いろいろ知っているだけに、なんだかなー。

実はこのナウシカは漫画版がある。
映画と漫画で全然違うものとなっている。
なんせ、漫画のほうは映画公開後も連載が続きかなり内容が複雑かつ深くなっている。
映画も好きだけど、漫画の方が好きかな、俺は。

って、映画を見ている場合ではないのですよ。
テスト勉強をしなくちゃ!
posted by のっち at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月15日

映画「ホテル・ルワンダ」

ホテルルワンダ.jpg
先輩と急きょ(!?)観にいきました。
今のところ日本では渋谷でしかやっていないので渋谷へ。
渋谷は1年ぶりくらいだろうか?
友達と渋谷の沖縄料理店に行って以来だ。

3時頃映画館に行くと、レイトショーしかチケットが残っていなく、レイトショーを見ることにした。
それまで、某旅行会社に入った先輩のところに遊びに行ったり(しっかり勤務中でした)、本屋に行ったりして時間を過ごしました。
夕食は先輩におごっていただきました。
ごちそうさまでした。

さて、映画は立ち見も出る満員。
まだ、単館上映であるから仕方ないか。
でもこの映画、2004年にアメリカで公開されアカデミー賞主要3部門にもノミネートされていた作品なのである。
なぜ日本で今まで公開されていなかったのか不思議である。
(金にはならないとでも思われているのでしょうか・・・)

アフリカのルワンダで内紛による大量虐殺の危機から人々を救った、実在のホテルマンの勇気と良心を描いた感動ドラマ。主演はスティーヴン・ソダーバーグ監督作品の常連、ドン・チードル。『父の祈りを』など脚本家として活躍するテリー・ジョージが脚本、監督、製作を手がけ、1200人もの命を守り抜く男の勇姿をヒロイックに描き出す。


もう少し、むごい映像なのかなと思ったのだが、「予想よりは」むごくなかった。
(もちろん、むごいことには変わりないが・・・)
以前にルワンダ虐殺の「本当の映像」を見た事があり、覚悟していたのだが
まぁ映画であるのでその辺は大丈夫であった。

残虐な映像を観客にたたきつけるのではない。
燃えさかる町や道の上に転がる死体の山、襲ってくる民兵。
そういった環境下に置かれたときの恐怖感が伝わってきた。
実際に自分がそこにいるかのように。

主人公は家族を大事にする男だ。
その強い気持ちが多くの人々を救うことにつながった。
自分の命さえ危険にさらされているときに、これだけの人々の命を守ったという事実を思うと心から尊敬する。

だが、自分が映画をみて感じたことは、無力感である。
理由もなく殺されることほど、無力なことはない。
打つ手がないほど、無力なことはない。

ホテルに逃げ込めた人々を国連のトラックに乗って移動するシーンがあるのだが、
途中の道には虐殺から逃げる多く人々が道を歩いている。
というか、道を埋め尽くしている。
その人々の流れを逆行する形で、トラックは進んでいく。
ホテルに「逃げ込めた」人間は助かったが、そうでない人は死ぬのである。
まったく正反対の未来が待っている。

映画の中で「欧米人はニュースを見ても、『怖いね』と言うだけでディナーを続けるよ」
という白人ジャーナリストの台詞があった。
世の中はそんなもんなのかもしれません。
ここにも、どうすることもできない無力感があります。

この映画では「なぜ虐殺が起きたのか」ということは描かれてはいません。
歴史的背景や、メディア(主にラジオ)による一種の洗脳キャンペーンなどに原因がありますが、そういう視点はほぼありません。
だから、何も知らないでこの映画を見ると、虐殺行為を行ったフツ族が一方的に悪いという印象を持つかもしれない。

が、もともとはルワンダを植民地にしていたベルギーが勝手に支配層にツチ族、支配される層にフツ族を配置してしまったことに、複雑な問題を生んでしまった原因があると思われる。
その後、ツチ族とフツ族は対立するようになっていったらしい・・・。
もちろん、虐殺を行ったことは悪いことに変わりありませんが、何もないところに急に虐殺が始まったというわけではないようです。

わずか10年ほど前に起きた悲劇。
虐殺されたのは100万人、そのうち40万人が子供である。
国民の7,8人に1人が殺されているという現実。
周りにいる誰か一人の人間が死ぬと悲しいのに、これだけの人が殺されその悲しみは計り知れない。
この人々にはそれぞれの人生、未来があっただろうに・・・。
どうしようもない気持ちになる。

さらに生き残った子供の17パーセントが孤児、20パーセントが深刻な精神障害を持っているという。。
そのような国が今後どういう方向に向かっていくのか。
映画はささやかなハッピーエンド的に終わっていますが、
自分はそのことが気がかりで仕方ありません。

なんだか、映画の話というよりルワンダの話になってきましたが、
映画は見る価値ありの映画だと思います。
ちょい役でジャン・レノも出てます。
posted by のっち at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月13日

映画「ニュー・シネマ・パラダイス」

ニュー・シネマ.jpg
今日は午前中で授業は終了。
で、夜に天文サークルで飲み会があるけど、それまで暇なので部屋にあるDVDを観る。

何度か観た映画で好きな映画なのだが、最近観ていなかった。
久々に観たら、今までと違う感動も味わえた。
こういった、時間がたっても感動し、なおかつ以前とは違った感動が味わえる映画は名画なのだと思う。

あらすじ
戦後間もないシチリアの小さな村。ここの唯一の娯楽はパラダイス座という映画館。少年トトは親の目を盗んでは映画館に通いつめていた。彼を魅了したのはフィルムの宝庫である映写室と、それを操る映写技師のアルフレードだった。アルフレードとの愛あふれる関係、一癖もニ癖もある映画館の常連たち、初恋の人エレナの行方、故郷に残された母の胸中....。


映画が好きな人なら一度は観た事がある映画だと思う。

何かを成し遂げるには何かを犠牲にしなくちゃいけないかもしれない。
けど、それが犠牲にしてはいけないものだったのではないか。
主人公トトは過去を引きずって、ずっと生きてきたんだなぁと思った。
そう感じ取ってしまうと痛々しく感じる。

また、戦争で夫を亡くし女手一つで子供を育てた母親。
息子が村を離れ、しかも30年も帰らなかった。
どういう思いでいたのだろうか?
以前は考えもしなかった。

そんな母親に息子は聞く。
「母さんはどうして誰にも恋せず、一人で生きてきたの?」
母親はこう答える。
「ずっと父さんやお前たちに真心を尽くしてきた。性分なのね、変えられない」
そして、息子の心を感じ取ったのかこう言う。
「お前は私に似ている。自分のものを愛しすぎる。
よいことかどうか・・・。真心を尽くすのは苦しいわ。
誠実な人間は孤独よ」

この母と子の会話のシーンが、今回一番印象に残った。

実はこの映画、2時間くらいの劇場版と3時間くらいの完全版がある。
長さが1時間も違うこともありこの2つの持つ印象はちと違う。
自分はどっちかっていうと完全版が好き。
(もちろん劇場版もすばらしいです)

完全版は1時間も伸びているだけあって、確かにいらないかもな、と思うシーンもある。
けど完全版の方が時間の流れの重さを感じることが出来、味わいが増す。
音楽もすばらしく、感動が増幅される。
posted by のっち at 17:18| Comment(2) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月25日

映画「ドグラ・マグナ」

ドグラマグナ.jpg
原作は夢野久作の同名小説。
原作自体は1935年に出来た小説。
映画は1988年の作品だそうです。
ある日、一郎(松田洋治)は精神病院のベッドで目を覚ました。記憶を失っている彼の前に現れた正木博士(桂枝雀)らは、彼が殺人犯であるという。また、隣の部屋からは、彼が殺したと思しき妹(三沢恵里)の声が聞えてくる。何が夢で何が真実なのか、一郎の精神は混乱していく……。


いや〜、摩訶不思議な映画でした。
記憶喪失の男が主人公で、何が現実で、何が非現実なのか。
その境界線が分からなくなる。
男の幻覚がはっきりと「これは幻覚なのですよ」というサインがないものだから、
みているこっちは、その境界線をうろつくことになる。

人の意識って不思議だよな、と思った。
何をもってここに存在していると意識しているのか。
何をもって自分という人間を証明しているのか。
その存在証明って何?
自分が自分なのだと信じられなくなれば、自己は消えてしまうのではないか、と思った。

そして出口の見えない物語。
繰り返し。ループ。
終わりがないって怖いことかもしれません。

それにしても、松田洋治が若々しかった。

posted by のっち at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月22日

映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」

ダンサー.jpg
今日は集中講義が終わってからなんとなく映画鑑賞。
部屋にあるDVDからチョイス。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」

この映画は評価する人、けなす人の真っ二つに分かれる映画だと思います。
自分は好きだなこういうの。
初めて見たときは息がつまり、泣いてしまった。
映画で泣いたのは、この映画が初めてだったなぁ。

ビョーク扮するセルマは、チェコからの移民。プレス工場で働き、唯一の楽しみはミュージカルという空想の世界を創りあげること。遺伝性疾患のため衰えていく視力と闘いながら、同じ病に侵された息子の手術費用を稼ぐため身を粉にして働く毎日。そのセルマにあまりに残酷な運命が待ち受けていた…。


セルマという人間の独特の感性、考え。
客観的に考えればちょっと変わっている。
何を考えてこういう行動を取るのか。
人間の感情なんて分からんことだらけ。
けど、だから人間なんだなぁと思う。

そして、セルマの子を思う「気持ち」はとてつもなく大きなものであると思う。
子供のため、自分なりに精一杯生きたんだと思う。
それだけは言える。
それがどういう「形」で示されているとしても。

汽車のシーンが好き。
悲しいのにとてもきれい。
セルマの歌う「I've SEEN IT ALL」
目が見えなくなる運命を背負っている彼女。
もう全てを見たんだよ、と歌う。
運命を受け入れているのか、強がっているのか・・・。
聞いていると切なくなる。

セルマは映画の最後ではどんな気持ちだったのだろう。
息子を手術することが出来て幸せだったのだろうか。
だから、あんな歌を歌えたのだろうか。
それとも、生きたかったのだろうか。
「これは最後の歌じゃない。最後から二番目の歌」

「最後から二番目の歌」は、突然ぷつりと途切れる。
それはまるで、人生の刹那、はかなさのよう。


posted by のっち at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月13日

映画「ロード・オブ・ウォー」

ロード・オブ・ウォー.jpg
今日はニコラス・ケイジ主演「ロード・オブ・ウォー」の試写会に行きました。
サークルの友達が試写会に申し込んだら当たったらしく連れてってもらいました。

話は世界中の紛争地域に銃を売り込んでいる武器商人の話。

オープニングからインパクトがあった。
工場(おそらくアメリカ)で作られた銃弾がどのように戦地に運ばれていくか。
銃弾にカメラが取り付けられたような映像が写される。
バックは工場の労働者が聞くような陽気な音楽が流れる。
やがて、銃弾は戦地に到着し銃に入れられ発射される。
その銃弾は子供に・・・。

銃や銃弾を作っている人間は、自分たちの作っているものによって人が死んでいるという所まで考えて、働いてはいないだろう。
ただの仕事であるという認識だろう。
そんなことを感じた。

銃・小型武器の問題がこの映画の一番大きなテーマであった。
小型武器の問題とは根深くて難しい。
何が問題かというと、戦争や紛争で最も多くの人命を失わせている武器が小型武器と言われている。
大量破壊兵器といわれる、生物兵器とかなんちゃらミサイルとかではない。
戦争・紛争ばかりでなく、犯罪にも多く使われている。

小型武器は国によっては比較的容易に入手できる。
また、国際貿易の上でもそれなりに取引がなされているらしい。
つまり「武器」といわれる物の中で、最も流通している物である。
それにより、多くの人命を失い、秩序の崩壊を促している。

そんな小型武器を野放しにしないで、国際的な問題として取り組んでいく必要がある。

国際的な取り組みとしては、法や条約を各国で結ぶ必要が出てくる。
どういった規制を行うかである。
世界に軍というものがある限り、武器の取引はなくならない。
紛争の起きている地域では需要がある。
政府軍ならいいのか、政府の認める組織まではいいのか、反政府ではあるが民主的なものを本当に目指している組織ならいいのか。
どこなら、小型武器を売っていいなんて決めるのは難しい。

流通を規制するには、流通の透明性だとか、その銃の製造元・製造番号をきちんと記載しはっきりとした出所を分かるようにしておかんといかんし。
買う人間にも売る人間にもライセンスみたいなのを発行して、買った人間と売った人間を把握しておかんといかんし。
それに、武器を持つことになんの疑問を持たない人に、マイナス面を伝えんといかんし。
そもそも、武器をもたなくちゃいけないような社会に住んでる人間もいるわけで、そういった社会を変えていくことなしに、武器の需要は減らんし。

民間人は武器を持つことを禁止するのも一つの方法。
けどアメリカなんかでは、個人の武器所有を法律で認められているからなぁー。
国際的な枠組みでアメリカが抜けていたら、あまり意味が無いし・・・。

アメリカは国家戦略として、とある国の反政府ゲリラなんかに小型武器をばらまいたりしてるし。
まぁ、そうすることでその国の反政府ゲリラが頑張って新しい政府が出来たときに、親米の政府が出来るわけで。
それは、アメリカにとっての国益・安全保障にいいことなんだろうし。

うぅ、頭が痛くなってきた。
ブログに長々書いても仕方ないことに気がついた・苦笑

余談ですが、後ろの席に安めぐみがいました・笑
映画の後、簡単なイベントをしました。
テレビよりきれいだなー、と思ったけどトークはちょっと微妙でした。
映画が映画だけに、コメントも難しいけど。

映画の方は一見の価値あり!
ちなみにこの映画、アメリカ映画です。
だけど、アメリカ資本は入っていないそうです。
アメリカ人からはほとんど協力してもらえなかったらしい・・・。
posted by のっち at 23:38| Comment(3) | TrackBack(3) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月13日

映画「グランブルー」

グランブルー.jpg
海の蒼が美しい、そして怖い。
子どものころから素潜りが大好きだったエンゾとジャック。大人になってからもスキューバーの道具を使わず、素潜りで深度を競いあうフリーダイビングの世界記録にチャレンジする2人だが...。


素潜りで100m以上も潜ってしまう。
そこにはどんな世界が広がっているのだろう。
蒼がどんどん深まり、光も届かなくなり、音も無い世界。
その美しさには底が無いように感じる。

「私の愛の深さを見てらっしゃい」と言い、海へと送り出すジャックの彼女が切ない。
ジャックには伝わったのだろうか。
ラストシーンの解釈で変わると思うが、自分は伝わんなかったんだろな、と勝手に思ってます。

にしても、イルカがすごくかわいい。
実際に海で見てみたいな。
posted by のっち at 20:58| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画「気狂いピエロ」

気狂いピエロ.jpg
フランス映画っす。
ストーリーは
フェルディナン(J・P・ベルモンド)は、
金持ちの妻との都会生活に憂鬱になっていた。
そんな時、ひょんなことから昔馴染みの女性・マリアンヌ(A・カリーナ)と出会う。
彼女の家で一夜をともにした彼だが、
朝起きてみると、彼女の部屋には、首から血を流す死体が。
しかし彼女はそんなことは気にせず、鼻歌まじりに朝食を作る。
そのまま彼は彼女に身を任せ、二人は旅に出る。
行く先々で強盗を繰り返しながら。

楽に観ることはできない映画です。
なんというか、人間のむなしさをシュールに描いています。
ものすごく悲しい。
その悲しさをドラマティックに描いてなくただ見せ付けられるので、涙は出ませんが。

「べトコン115名が戦死」というニュースを聞いて、「その他大勢って悲しい。べトコン115名じゃなにも分からない。それぞれの人生があったはずなのに・・・」
って台詞が印象に残った。
人間を数字に置き換えてしまうと、人間が見えなくなる。
ニュースなんかで毎日毎日「テロで2人死亡」だとか「交通事故で3人死亡」とか聞いていて、なんというか命が数値化されているようで少し怖く感じた。
情報を伝えるためには、そうするしかないのだけれども。

「人生も物語のように論理的で整っていて欲しい」
という台詞も印象に残った。
そうだよなー。
事実は小説より奇なりとは言うが、生きていくと説明のつかないことや、分けのわからんことや解決不能なことが多すぎる。
それが人生の楽しみや深さとも言えるけど、実際にそういうものを叩きつけられると、この台詞のような願いを持ってしまうな。

この映画はストーリーを楽しむものではなくて、映画の世界に放り込まれその時間の経過を感じるようなものだと思った。

posted by のっち at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月12日

映画「無問題」

無問題.jpg
無問題2は観たことがあるのだけど、1を観ていなかったので観てみました。
説明はあまり必要ないと思うけど、ナイナイの岡村さん主演の香港アクションもの。

岡村さんのコミカルな演技が面白かった。
笑いありアクションあり、少し感動もあり楽しめる映画だと思います。
「いい人というセリフはブサイクな人間が言われるセリフだよ」みたいに岡村さんが言うのに、そうだよなぁ、なんかわかるなぁ、と思いました。。。

香港ものはジャッキーの映画をちょっと観たくらいなんで、なにか観てみようかなー。

さて、今日はこれからサークルのミーティングがあって、その後飲み会です。
風邪気味なんで、ほどほどにしておこうー。
posted by のっち at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月09日

映画「蝶の舌」

蝶の舌.jpg
今日は、大学の授業で小テストを受け、ロロシップのミーティングをやりました。
ミーティングでは文化祭の反省などをしましたが、テストのため途中で抜けました。
申し訳ない・・・。
家に帰ってから映画を見ました。

「蝶の舌」
あまりどういう映画なのか分からずに見ました。
オープニングもなぜあんなオープニングなのかも分からなかった。
始めは舞台となる時代もよく把握できなかった。
だけど、映画の後半でいろいろなものが見えてきました。
戦争が始まる前の戦争ものです。
まだ戦闘は始まってないが、軍部が台頭し平穏な日々が終わりを告げる・・・。
静かで淡々として、劇的でもなんでもなく、時代が変化していく。
時代の流れを認知する前に、状況だけが流れ人々はただその流れに流されていく。
戦争を始め、人間の歴史でこういう状況になることが一番怖いことだと思う。

病弱な少年と学校の老先生の話が中心となる。
子供は老先生を慕っているのだが、老先生は共和制支持者。
時代が変化し、軍が反乱を起こし共和制支持者は検挙される。
検挙される時、町のみんなに罵られるのだが、その時の少年の行動と言葉は忘れられない。
時代の流れで、人の態度がこうも簡単に変わってしまう。
なんとも言えない気持ちになった。

子供が主人公の映画のわりには、性的描写が多いかなー。
いい映画には変わりないんだけどね。
嵐の前の静けさのような映画。
平和がいつの間にか壊れていく、その残酷さを感じました。
ちなみに、舞台はスペインでスペイン内戦前夜の話です。
スペイン内戦はピカソのゲルニカなんかで有名かな。
戦争の悲劇を伝えるものはたくさんあるが、戦争はなくならんもんですね・・・。
posted by のっち at 23:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月08日

映画「13階段」

13階段.jpg
今日は、午前中は文化祭の後片付け、夕方はバイトでした。
バイトがてら、レンタルが安い日だったので、いくつかDVDを借りました。

今日は「13階段」
重かった。
死刑制度だとか、人間とは命とは何か、と考えさせられる映画でした。
反町隆史と山崎努の二人の演技がよかった。
反町は人を殺してしまい苦悩する男を、山崎は死刑を執行し人を殺したと苦悩する男をそれぞれ演じている。
二人とも渋くてかっこよかった。

映画を観ていて感じたのは、殺人者の人を殺した苦しみや後悔や苦悩、殺された側の遺族の憎しみや怒り。
結局それは、その本人にしか分からない感情だと思う。
人間の感情なんて、ほとんど他人には通じない。
理解し合うことや分かり合うことは、本当に難しいのだと思う。
だけど、理解しようとすること、分かろうとすることを止めたら、人として終わると思う。

死刑制度に関しては、答えらしい答えが見えない。
ただ、殺人事件で人が人を殺す。死刑でも結果的には人が人を殺す。
そこに違いはあるのだろうか?
人に(というか国家に?)人を殺す権利があるのだろうか?
うーむ、まだまだ勉強不足です。。。

殺人者を絶対的な悪なのだと捉えれば、何も考える必要はないでしょう。
殺人者を人間なのだと捉えれば、悩むのでしょう。
そして、殺人者をどう捉えようが、殺された側の遺族は悲しみ続けることになる。

映画の中で、人を殺して苦しんで、タンポポの花がきれいだと言う人がいた。
こういう人は信じてもいいと思う。
posted by のっち at 23:31| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月23日

映画「ウォルター少年と、夏の休日」

ウォルター少年と夏の休日.jpg
「シックス・センス」のハーレイ君主演の映画。
声の感じが変わり、成長したなーと感じました。
さて、映画のストーリーは、父親のいない主人公のウォルター少年が、母親の2人の伯父に預けられる。
2人の強面な伯父に、少年は戸惑うが次第に心を開いていく・・・。

ハーレイ君もいいけど、それ以上に2人の伯父の演技がよかった。
名優って感じだね。
落ち着いていて、自然な演技でした。

アメリカの田舎が舞台で、始めは暗い顔をしているんだけど、だんだんといきいきとしていく。
伯父たちの若い頃の話なんかを聞いて、生き方を学んでいく。
典型的なストーリーではあるんだけど、回想シーンが安っぽいアクション映画風なのが、楽しかった。
回想シーンはどことなくわざっとぽいんだけど、それはウォルター少年の想像の世界だからなのかな、と思いました。

「大切なのは事実ではなく、価値があるものならば信じること」
って台詞がよかった。
事実かどうか分からんものを信じるって難しいけど、信じて生きていくのも一つの生き方だと思った。
それが間違いだったと気がついたときの衝撃は大きくなってしまうが・・・。
けど、信じないことには始まらないこともあるし。
信じる価値があるかどうか。
人と人との関係では、大切なことでしょう。

へんにヒネリがなくて、いい映画でした。
邦題より原題「Secondhand Lions」のほうが好きです。
posted by のっち at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。